秀吉の中国大返し

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歴史/時代劇☆

軍師官半兵衛

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」

ご存じ、秀吉の軍師と言えば竹中半兵衛と黒田官兵衛ですが、官兵衛が土牢に囚われの身となり、その間に半兵衛が病死するなど、秀吉も大変な時期がありましたね。なぜなら、秀吉は中国方面軍の司令官として居城である近江の長浜城を離れ、姫路を拠点に中国攻めをしようとする信長の天下布武の最終段階に入っていたからです。

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ここで当時の信長の方面軍がどのように展開していたかをちょっと見てみましょう。

  • まずは北陸方面の柴田勝家
  • 次に甲斐方面に滝川一益
  • 東海道方面に徳川家康
  • 畿内には明智光秀
  • 四国方面に丹羽長秀
  • そして、中国方面に羽柴秀吉

どうもこれを見ると信長の方面軍というのは攻めというより、守りに重点を置いたものと考えられます。つまり、京都や近江などの畿内から他の勢力を追い出す形ですね。畿内に入ってこられないようにするため配置したのでしょうかね。

天下布武とは畿内への要所は全て織田氏の家臣が守るという意味?

で、その守る為に武力というものをメインに置いたものでしょうが、それは表面で裏では外交をしていた。その外交の立案や使者の役目をしていたのが軍師と呼ばれる参謀たちです。

官兵衛の計略 中国攻めの仕上げ ”水攻め”

ところが、秀吉の方はどうかというと、半兵衛は病気、官兵衛も行方不明という事態になり、まるで両手を失ったかのような状況でありましたが、生死もはっきりしなかった官兵衛が土牢を脱出した事を知り、信長に裏切り者ではなかった事を認めさせた後は、半兵衛の代わりに官兵衛を軍師として用い、大名に取り立てました。 そうして、毛利氏の治める中国地域に対しては清水氏の居城を水攻めにして落とす官兵衛の計略を秀吉が実行した訳です。

本能寺の変

そんな時に京都であの本能寺の変が起こり、織田家は頭領も跡継ぎもお城も失って大混乱。一気に政治は近江から京都に戻り、何もかもが昔に戻るかのように思われましたが、当時の秀吉の居城は家族も住んでいた近江の長浜にありましたから、姫路から引き返した訳です。 目的は天下取りですが、勿論それは軍師である官兵衛の采配によるものですね。 さあ、どうなりますか。

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