歴史とミステリー☆ 光秀の三日天下はなぜ起こったのか?

光秀と秀吉にはその後の家康に繋がる天下持ち回りの不思議があります。歴女には大変興味深い内容です。

歴史とミステリー☆ 時代の麒麟児 豊臣秀吉

秀吉

秀吉役の竹中さん

織田信長の突然の死によって戦国時代の麒麟児として表舞台に立つ事になった秀吉。NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」では、「殿っ!好機ですぞ」と秀吉に進言する軍師・黒田官兵衛の目が光りますが、中国大返しを実行して織田家の後見人となり、やがて関白太政大臣として天下を握ります。

秀吉が戦国時代の乱れた世を平らげた事で、桃山時代という独特の文化を作り上げました。

このようなピカピカの天下人へと駆け上る秀吉の黄金サクセスストーリーの影の張本人こそ、実は本能寺の変を起こした明智光秀なのです。

影である故に主君殺しの謀反人とされた明智光秀には、実は色々な謎を残しています。

明智光秀

明智光秀

それは近江坂本城の奥さんは敗戦で死んでしまったのに、当のご本人は死んだと見せかけて、実はコッソリ生き延びたと言う説で、その理由としては、これは織田信長もそうですが、明智本人の亡がらが見つかっていない所にあります。

信長の場合は本能寺が焼け落ちたので亡がらが分らなくなったという説もありますが、分らないための生存説も生まれているのです。明智もそうでして、殺されたという事になっていますが、本当の所ははっきり分らないのです。

徳川家康の天下へと続く謎 「仏僧とは光秀なのか?」

ちなみにこれに関連すると思われる二つの謎を紹介しましょう。これは徳川家康の天下へと続く謎でもあります。

一つは日光に明智平なる所があるのは何故か。

もう一つは亀岡城主(現在の京都府にかつてあったお城)でもあった光秀

今もこうも亀岡市で慕われているのは何故なのか。

思うに、関東の平定と京都の要地に仏僧が深く関わっていたと思いますが、 これこそ本命の謎と言えます。皆さんはどう思われますか。

そこで、なんでも光秀は坊主になったといわれているのです。

これは大変不思議ですが、どういう訳で殺されたはずの謀反人が生きていて、坊主・・つまり、明智という家も名前も捨てて・・・どさくさまぎれに出家して俗人から僧になったのかという事です。

NHK大河ドラマの「女城主直虎」も一つのヒント

一つ目の日光については、多分、下の息子がお坊さんになって一度は捨てた明智家の名前を再興しようとして年齢を偽って徳川家に仕えたのではないかと思います。 寺に伝わる光秀の絵も若いので一番下あたりの成人した息子さんを描いたものでしょう。

つまり、お父さんが初代とすると名を継いだ2代目光秀は息子に当たる訳で、坊さんになって活躍したという訳です。小さい頃にこっそり寺かどこかに預けられていたのでは。勿論、成人するまでには彼とお寺を支援した某家の存在があったはずで、徳川主家もそうですが、明智家の一族の一人が嫁いだ名家もその某家に関わっていたのでないかと現在考えています。

慶長19年20年の大阪冬の陣、夏の陣によって豊臣家は滅亡しますが、その頃にはすでに2代目光秀は名を隠して、立派なお坊さんとして世に知られるようになっていた訳です。

どうですか? 

意外でしたか?

闇の中の戦国時代らしい話で暗黒時代にはそんな話もあり得る訳です。本当の事は今だに謎のままですね。しかし、やがて光が当たって本当の事が明るみになるでしょう。

本命の謎はまだ一つ残されています。あなたも考えてみたら為になるのでは?

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秀吉

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